コラム「友情と尊敬」

第27回「逆輸入の予感」 藤島 大

予感がする。もはや確信にも近い。
ごく近い将来、この国のラグビー界を「逆輸入」の波が襲う。素早く飛び出す防御、いわゆる「日本流シャロー防御」が海外経由で列島を席巻する。そんな気がする。

すでにして兆候はある。トップリーグのリコーの防御は、ほとんどBKラインの外側が内よりも前へ飛び出している。出足は鋭い。はっきり今季からの特徴だ。ブライアン・スミス新コーチの発案である。ここまでのところ機能できている。正解だった。

コーチのスミスは、かつてワラビーズのSHを務め、1987年の第1回ワールドカップではジャパンとも戦っている(42ー23)。その後、オックスフォード大学へ留学、アイルランド代表にも選ばれてSOをこなした。また13人制のラグビー・リーグのプロ経験もある。選手として多彩な経歴を持ち、豪州とイングランドで培ったコーチングの手腕も確実で、来日ほどなく、リコーの陣容や過去の戦いぶりを検討して「前へ」の防御採用を決めている。リコーの選手には、現在の南アフリカ代表スプリングボクスの試合の映像を見せた。いま「ブリッツ」と呼ばれることの多い前へ激しく出る防御方法である。その南アフリカ代表、NECのヤコ・ファン・デル・ヴェストハイゼンも、来日後、「もっと前へ出るディフェンスをしたい」とチームに提案している。IBMも「ブリッツ」の志向は強い。

実際は、いわゆるブリッツと、「日本流シャロー」は、いささか異なる。前者は、おもに「相手の死角から外→内の詰め」を基本とするのに対して、後者は「マーク・トゥー・マーク」が原則だ。しかし、攻防の人数がそろっているなら、徹底的に前へ出るところ、さらにカバーリング(バッキングアップ)を重視するところは同じである。

すでにスプリングボクスが一定の成功を収めている。フランスも相手によっては前へ出まくる。そして、それは、いうまでもなく、本来、日本ラグビーの伝統なのである。
戦前、ジャパンの名CTBとして鳴らした川越藤一郎氏(故人)が、早稲田の学生時代にルール書を熟読して、防御側が浅い(シャロー)ラインのまま飛び出す方法に至り、以来、国内に広まった。当時は、世界的にも、防御側は攻撃側と同じ深いラインを敷くのが常識だった。

本コラム筆者にも思い出がある。
97年3月、コーチを務めた全早稲田大学のアイルランド・英国遠征でケンブリッジ大学と対戦した。この時のケンブリッジは、遠征の西サモア代表に13ー14で食い下がり、オックスフォードには23ー7で快勝するなど強かった。その相手がベストの布陣を組んできた。結果は46ー62。少ない攻撃機をことごとく得点できて称賛もされたのだが、なにしろ守り切れなかった。理由のひとつが、シャロー防御を何度もオフサイドとされたことだ。
試合後、マンチェスター協会から派遣されたレフェリーに拙い英語で抗議した。
「立つ位置、飛び出すタイミングは研究ずみで、ルールブックに照らしてオフサイドではない」。すると好人物と思われるレフェリーは言った。「そうかもしれない。でも私にはオフサイドに思えた。だって、最初からこんなに低く構えて一目散に飛び出すディフェンスなんて初めて見たんだ」。そんなに昔の話ではない。

いま世界がこぞって「ブリッツ」の研究・会得に励む。来年度には、日本の多くのチームが海外からの「逆輸入」で、事実上のシャロー防御にせっせと励むだろう。ちょっと前、豪州経由の「ピラー防御」が、ほとんどのチームでは熟慮も経ずに、ぐんぐん浸透した事実も思い浮かぶ。だが、忘れてはならない。シャロー防御の深いノウハウは日本国内にこそ存在する。相手に対して、どんな角度で構えるのか。飛び出す際の足の運び方。やや外からマークに迫るのに内へかわされないための限りなく直線に近い曲線の動き。カバーリングのコースとそのためのブレイク(最初のスタート)の具体的練習法…。まだまだ海外のコーチの気づいていない「財産」はある。

どうか、せめて代表たるジャパンは、半周遅れの海外理論の後追いに別れを告げて、先達の創意工夫を尊敬しつつ独自性の花を咲かせてほしい。たとえば、世界のどこも到達しえぬ本物のシャロー防御を。

96年、創設されたばかりのACTブランビーズが来日した。のちにワラビーズでW杯制覇を遂げた名将、ロド・マクイーン監督は、『ラグビーマガジン』の記者に来日の理由を語った。「日本には昔から独自の技術や試合運びがある。それはスクラムからのダイレクトアウトやラインアウトのクイックな投入だ」
試合終了直後、複数のブランビーズの選手が、SH前田隆介(現・近鉄)を称えたのは、日本流の球さばきを意識していたからだろう。やがて「投入された球をフッカーがかくのではなくフッカーの出した足に球を当てる」日本式フッキングは、ブランビーズやワラビーズに伝わり、現在も継承されている。

ちなみに、マクイーンは著書において、なぜブランビーズの最初の遠征に日本を選んだのかを述べている。
「日本は伝統的に密集の球を8人がかりで殺しにくる。その相手に対して少人数で球をリサイクルする我々の新スタイルが通用すれば、成功できる。我々は、アイデンティティを確立する必要があった。リーズナブルな(ほどよい)敵と戦って、パターンを固めるつもりだった」
後段は、かつてジャパンを率いた大西鐡之祐氏(故人)の「弱い相手にこそベストのメンバーを組んでチームワークをつくるんだ」という言葉と重なる。
ジャパンは、ウェールズ・スコットランド遠征前のアジア大会(香港=地域リーグの選手主体に派遣)に最良の布陣で臨むべきだった。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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